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2026.3.30

YOSHIKIさんの君が代アレンジについて

(※本記事は内容を訂正しています)

 F1日本GPでのYOSHIKIさんの国歌演奏を、F1とX JAPAN両方のファンである僕はなんたる俺得と拝聴していたんだけど、メロディーの最後の部分のコードでぶっ飛んでしまった。

 もともと君が代は日本の雅楽の旋律に西洋の機能和声的な和音付けが(割とむりくり)されていて、そのせいでメロディの最後の一音(レ)が

「終わった…? ような終わってないような?」

 みたいな感じになる。レを主音にした壱越調(いちこつちょうというらしい)の雅楽のメロディーに対して、和声付けがハ長調(ドが主音)で施されているので、メロディーがレで終わられると「あれ、なんか途中…?」みたいな感じになるのである。なので元々のアレンジではそこは和声付けがなく、ユニゾンになっている。

 しかし今回の演奏でYOSHIKIさんはその箇所にB♭(シ♭・レ・ファ)という和声付けをして、心地よい浮遊感と希望が共存するような響きを作り出してみせた。聴いた時に正直「おぉっ!?」と声が出た。

 話がちょっと専門的になるけど、B♭というコードはハ長調上に通常はいないコードである。そこにはなんだか体がふわっと持ち上がるような浮遊感がある。それはメロディのレに対する和声づけとして利き手が自然に期待するレ・ファ・ラのラが半音上がっていることによるものじゃないかと思うんだけど、浮遊感とともに「まだ終わってないぞ!これからだぞ!」という未来に向けての方向性を感じさせる。

 B♭というコードが、これまで一度も出てきていないというのもポイントだと思う。旋律の最後、本来であれば終止するところでお初の響きが登場することで聴き手におやっという驚きを与え、新規性つまり未来を感じさせる。この浮遊感と未来・希望の組み合わせに、つい声が出てしまったのである。

(余談だけどこのペンタトニックの旋律とそこにない音のコード感の組み合わせというのは坂本龍一さんの世界を連想させる。そう言えば92年のロックフェラーセンターの記者会見でYOSHIKIさんが今ウォークマンに入っているアーティストみたいなのを質問されて「メタリカ・坂本龍一」と答えられていたなと思い出す。僕の記憶が正しければだけど)

 また、僕が更に素晴らしいと思ったのは、その新規性抜群のコードに至るまでのアレンジはオリジナルの、ドイツ人作曲家エッケルトによる和声付けが尊重されていることである。

 エッケルトさんだって好きで「ちょっと変」にしたわけではなく日本のメロディと西洋のオーケストレーションの融合という、言わば無理難題を頼まれて、ベストを尽くして今のアレンジにされたのだと思う。そのアレンジを否定し変えてしまうのではなく、伝統を尊重した上で残された余白に新たな解釈を加えてみせた。  
 伝統を重んじ且つ、その上に新たなピースを乗せていくというその態度こそ、これからの未来を作る世代にインスピレーションを与えるものだと感じた。

 そしてB♭のあとにコードは全音上昇し、C9(メロディがレなので9thになる)を経由して、最後にまた全音上昇しDメジャーに解決する。君が代にアウトロが付いたわけである。これはエッケルトさん式に君が代をハ長調と解釈すれば、全音上に転調した事になって力強いし、雅楽のメロディを尊重すれば壱越調は西洋風に言うとDドリアンというマイナー系になるので、いわばDマイナーで始まった曲がDメジャーで終わるという、これまた希望を感じさせるものである。

 このマイナーキーの曲がメジャーコードで終わるというのはXの曲でもよく聴くことができるので(Silent JealousyとかXとか)うーんYOSHIKIさんだなぁ!と嬉しくなってしまった。

 もともとのアレンジの終わってない感も大人になって聴き慣れると「そこがいいんじゃない!」と感じてはいたんだけど、子供の頃から燻るように感じていた「君が代の最後終わってなくない?」問題、「ちょっと暗くない?」問題諸々が見事に解決された衝撃で、こんな長文を書いてしまった次第である。

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